ランプーンの歴史 ~北タイ最古の仏教都市~

ランプーン県は、チェンマイの南約30kmに位置する、タイ北部最古の都市です。

その歴史は1,300年以上にわたり、モン族による「ハリプンチャイ王国」を中心に発展してきました。

ランプーン誕生以前

かつてこの地は「サマンタラ国」と呼ばれ、約2,000年前からすでに人々が暮らしていました。

インドから渡ってきた修行僧たちが現地の人々と混血し、農耕や交易を営む初期の集落を築いたと考えられています。

近年発掘された人骨や石器、壁画は、古代の人々が農耕や儀式を行いながら定住していた証拠です。

ハリプンチャイ王国の成立

8世紀、賢者ワスデーヴァ(ฤาษีวาสุเทพ)がこの地に都市建設を開始。そしてラヴォ(現在のロッブリー)から王女チャマテヴィー(จามเทวี)を招き、ハリプンチャイ王国を建国しました(西暦750年頃)。

チャマテヴィー女王は、仏教と高度なドヴァーラヴァティー文化を北方にもたらし、都市を発展させました。
彼女の治世以降、ハリプンチャイは仏教、政治、文化、経済の中心地となり、モン文字の石碑も多数残されました。

黄金期と周辺国との関係

ハリプンチャイ王国は600年以上続き、50人以上の王が統治しました。この時代、ビルマのパガン王国、カンボジアのアンコール王朝、スリーヴィジャヤ王国などとの交易・外交も盛んに行われ、ランプーンは東南アジア広域に影響を与える文明都市となりました。

また、仏教文化の広がりとともに、モン文字は後のビルマ文字やタイ文字にも影響を与えました。

ランナー王国への統合

13世紀後半、北部の強国「ランナー王国」を築いたマンラーイ大王(พญามังราย)がハリプンチャイを征服。

ランプーンは政治の中心からは外れましたが、仏教文化の中心地として引き続き重要な役割を果たします。

この時期にワット・プラタート・ハリプンチャイ(พระธาตุหริภุญชัย)が整備され、ランナー諸王によって大切に守られました。

近代化とランプーン

その後、タイが近代国家へ移行する中で、ランプーンも中央政府の管轄下に入りました。19世紀末から20世紀初頭にかけては、北タイ全域の再編成の一環として、県(จังหวัด)制度が導入されました。

      現在でもランプーンには、古代から続くモン族文化、仏教建築、工芸、祭りなどが色濃く残っています。

      参考:จังหวัดลำพูน「ประวัติความเป็นมาจังหวัดลำพูน

      ✨まとめ

      ランプーンは、

      • 仏教が最初に栄えた北タイの聖地
      • モン族文化が花開いた都
      • 後のチェンマイやランナー文化の礎となった地 です

      ゆったりとした田園風景に、1,300年の歴史が静かに息づくランプーン。

      チェンマイからの日帰り旅にもぴったりな、知る人ぞ知る「本物の古都」です。

      ぜひ皆さんも訪れて見てください!

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